長尾真京都大学元総長・国立国会図書館長 祝辞



京都大学に情報の大学院を作ろうという声が、何時何処から出てきたのか、詳しいことは今となっては全く覚えておりません。京都大学工学部に情報工学科ができたのは昭和45年(1970年)4月で、これは確か国立大学では初めてでありました。当時は清野教授、坂井教授などのそうそうたる先生方が電気系学科におられ、計算機とソフトウエアを中心とした学科を作られたのでした。

今でもそうですが、当時は日本のソフトウエア人口が不足していると産業界などからも言われておりました。情報工学科40人の学生定員では全くダメなので、情報工学部を作ろうという話もその後あったわけですが、平成に入って文部省の大学院重点化政策によって重点が徐々に大学院に移ってゆくにつれて、工学研究科の中の情報工学専攻というのでは全く不十分であり、情報に関する大学院研究科を作ることが必要であるというようになっていったわけです。

以前から京都大学には将来構想検討委員会というのがあって、私も委員をしていた時期がありましたが、そこでは将来どのような研究科を作る必要があるか、作るとすれば教官等をすべて純増で文部省が認めてくれるはずはないので、どの学部学科から教官ポストを出すことができるかといったことを想定しながら議論を煮詰めねばならず、簡単ではありませんでした。それでも平成5年(1993年)11月に報告書が出され、従来の伝統的学問体系の枠を超えた学際的・総合的な教育研究の場として独立研究科の設置を推進するとされ、具体的にはすでに設置されていた人間・環境学研究科のほかに、総合エネルギー科学研究科、生命科学研究科、アジア・アフリカ地域研究研究科、多元価値総合政策研究科を作るべきこととされたのでした。

ところが、この報告書には情報科学関係の研究科を設置すべしとは書かれなかったのです。これは不思議と言えば不思議なことだったのですが、情報工学部の構想が学内でうまく進まなかったことと、情報科学の大学院を作るときにどの学部から幾つポストを持ってくるかに、合意が得られなかったからではないかと推量されます。それにもかかわらず情報科学についての大学院を設置する期待は内外から強くあって、どうすべきか非公式に話し合っておりましたが、いつの間にか私がそのまとめ役にならされておりました。

私は作るべき大学院は次のようなものであるべきだと考えておりました。すなわち、(1)情報は人間が作り出し、人間が利用するものである、したがって人間の頭脳が情報を作り出すメカニズム、さらに情報が人間にどのように理解されるかということを深く究明すること、(2)外界からの情報は文字や音、図、動画、その他五感に関係した媒体によって受容され、表現、伝達され、認識理解されるから、これらの研究と共にこれら情報媒体間の変換などを究明すること、(3)情報の生成、伝達、受容にはコンピュータのソフト、ハード、情報通信技術などが必要であるから、これらを研究すること、(4)情報はこれからの社会活動の中で大きな位置を占めるようになるし、社会に大きな影響を与えることになるから、情報社会学といった視点も欠かすことができないこと、(5)そしてこれらすべての基礎に、これら巨大で複雑な対象を数理的、システム的、シミュレーション的に明確化してゆく研究などが必要である、といった範囲を考えました。

そこでこれらに関係する大学内の部門として、工学部では情報工学科、数理工学科、電子工学科の通信関係講座、理学部では数学の中の数理工学に近い部門、文学部の心理学、教育学部の認知科学、さらに医学部の関係部門といったところの関心のある方々に集まってもらって議論をしました。 作るべき研究科の名称は、他大学などで言われている情報科学、情報工学といったものでなく、ここに述べましたような構想から、それは情報の学でなければならないと考えました。当時は人文社会学分野では自然科学に対する引け目があったのか、“科学”と名をつけるのが流行っていて、人間科学、言語科学、教育科学などという名称がよく使われていましたが、私は自然科学で人間のすべてを解明できるとは思っていませんでしたので、科学を超えた学問世界というものの存在を考えて、情報の科学でなく、情報の学をやるのだと主張し、情報学研究科という名称を提案したのです。

情報学研究科を作るための委員会に集まった人たちの間には、この新しい組織に入ったときのメリット、新しい所へ来る場合と従来の場所にいる場合との利害得失など、いろいろと思惑が入り乱れ、総論賛成、各論反対で簡単には纏まらなかったのです。将来構想検討委員会が平成5年に出した将来計画でまだ実現していない研究科もあるのだから、急ぐ必要はないという意見もありました。しかし一方では、今度この議論が纏まらなかったら京都大学には今後永久に情報の研究科はできないだろうという危機感もあって、一年以上議論したと思いますが、皆の利害得失をまるでちょっと吹けば壊れてしまうガラス細工のような形でまとめ、平成10年に情報学研究科をスタートさせることができたのでした。

その時の危うさは10年たった今日でもまだ残っているかもしれません。同じ研究科の中でいろんな問題に対する十分な議論と意思疎通が不足し、それぞれの間の壁が依然として高いということもあるでしょう。しかし真に学問をしている人は謙虚で寛容であるはずですから、こういった壁はあるはずがないのであって、皆が透明性の高い環境で切磋琢磨するのが本来の姿であり、またそうであってこそ世界一流の研究が成し遂げられるのではないでしょうか。ですから、研究科全体にとって良いということは、たとえ自分にとって不利なことであっても賛成し、推進するべきと存じます。それが結果的に自分にとって有利に働くこともあるのです。

特に大学院に来る学生諸君は自分の関心のある分野だけに閉じこもらず、多様な情報学の多くの分野について興味を持ち、広く勉強をしなければ大成することは難しいことをよく考えてください。このごろは狭い専門の分野で論文を書くことのみに集中している人が多いのですが、それでは新しい分野を切り開く革新的な論文は生まれてきませんし、社会に出てからもいろんな問題に適切に対処することができないことになってしまいます。せっかく学際的にいろんな研究をしている人達が集まっている研究科ですから、ぜひとも広く深く学んでくださるようお願いします。

新しい革新的な考え方は、異なった思想のぶつかり合い、異分野との出会いから創造されるということは歴史が証明しております。情報の分野でも同じことがいえます。これからはたとえば遺伝子情報との出会いをどのように受け止めるか、今日の経済を構成する、人間の行動様式をも含んだあらゆる因子の相互関係を解明して、社会という巨大システムをシミュレーションして、いろんな因子の変動に対して社会がどのように激変してゆくかを予測し、また制御する技術を作ってゆくことができるかどうか、あるいは同様のことを環境問題についてどうすれば地球全体の規模で従来に比べて二桁高い精度でシミュレーションすることができるか、といった問題もあるでしょう。

こういったことを言い出すと、全ての学問は情報を取り扱っているのだから、そういったところへ範囲を広げてゆくときりがないし、また情報学の独自性が失われてしまうから、情報固有の世界を守るのだという意見が出てくるでしょう。そういった考え方も良く分かります。しかし固有の情報の学問分野というのは何なのでしょうか。シャノンの情報理論、オートマトン理論、ソフトウエア科学、・・・などを取り上げても、それらはもともと通信工学、数理論理学、・・・の分野のものとみなすこともできるわけです。あえてこういう分野を情報の固有の分野だとしたとしても、これが大きく成長し花開くためには豊かな土壌に蒔き、たっぷりとした栄養を施すことが必要なのであります。したがって異なった学問領域から十分な栄養を取り、力強く成長してゆくことを日々心がけねば情報学の未来はないといえます。そのためには現実を直視し、そこからしっかりした内容をつかむということが必須となります。

情報学研究科では、最近こういったことに果敢に挑戦し将来性のある興味深い分野を切り開きつつある人達がどんどん出てきつつあるのは心強いことです。どうかこういった様々なことに心を致し、これからの情報学研究科を日本はもちろん世界においてもトップのものにしてゆくべく、教員・学生諸君ともに努力をしていただくことを期待いたします。